とりとめのないことを考える。

 先日の堂島くんのイベントで、「今年は、2本くらいツアーやるかも」と言ってたな。その前のライブのときとかにも、「今年は、○月くらいにシングル出して、○月くらいにアルバムも出したい」とかそんなことをお話してくれたなぁ。聞きながら、先々まで、予定入ってるんだなぁと思ったものです。やっぱり企業のように(っていうと感じ悪いかな。)年間計画立ててるんだろうか。あるいは3ヵ年計画とか5ヵ年計画とかあるのかな。
 伝えたいことが溢れてくるときは、曲なんかもどんどんできるだろうけど、そうじゃないときはどうするんだろうと凡人の私は考えるのです。 何もしたくない、誰とも会いたくないとかそんなときないのかしらと。普通の勤めをしている私は、何もしたくない、仕事行きたくないなんて許されなくて、重い腰をあげてでも仕事します。大人だし、責任あるし。けど、堂島くんもそうだし、團ちゃんもそうだけど、アーティストというかミュージシャン(あぁ、こんなチンケな括りはしたくないな。おいらの魂揺さぶる表現者ってところか。)は、仕事だから曲作るとか、会場押さえてあるからライブするかとかってないと思うんですよ。あってほしくないし、ありえない。そんな心構えのライブで、感動するわけないし、グッとくるわけない。楽しいなぁなんて思って、気づけば笑い顔になっている堂島くんのライブも、泣きそうになったり、鳥肌が立ったりする團のGIGも、彼らの心意気が伝わるんだろうなと思ってます。 ほんとにね、かけがえのない時間、空間です。だから何度でも、見たい、聞きたい、会いた〜いのですね。
 …、けど、ふと、私はプロ野球選手とかを見ても思うんですが、好きなことを「仕事」にすると、大変だろうなと思います。小さい頃からやってる大好きなことを続けられるのはステキなことだけど、そこに金銭やら成績やら、あるいはナベツネみたいな経営陣やらが入ってくると複雑なことも出てくるだろうなと考えてしまうわけです。ヒトの事なのに。ものすごいスピードでどんどん大きくなっていく團を見てても、本当にやりたいことを、やりたいようにできているのかなと思ったこともあります。それは、今も考える。東京ドームでのGIGとかも、大人の都合と團ちゃんたちのホントの気持ちはどんな割合だったのかとか、あのGIGは、アリだった!と思っていても引っぱりだしてきて、悶々と悩むわけです。我、ネクラなり。
 そうそう、堂島くんの話を思い出して、では、團の「最終章」は、いつから決まっていたことなのかと考えたのです。今日の悶々時間スタートです。春のツアーですでに、次のツアーの告知をしていたのだから、その前から最終章の構想が翔やんの中でできていたのか、それとも、アリーナツアーとして決定していたものを、團内部の状態をみて(ロッキンオンとかsmartとかにあったような危機感)「最終章」としたのか。そんなことを考えているうちに、もともと東京ドームだったのをわざと幕張メッセと告知するという團ならではのギャグだと受け取っていた(私はね)ものも、本当に最初は幕張で、途中で、「最終章にしよう」「もっとデカイとこでやろうぜ」なんて変わったんじゃないかとか、私ひとり考えたところで、どうにもならないことを延々考えたわけです。正直まだ考えてます。
 とりとめのないことを書きなぐってしまいました。少しは、自分の明日を考えなくては…。